選ぶということ


何か1つを選ぶということは、
もう一方を選ばないと決めるということだと、
前にある人が言っていた。
例えば、2つの選択肢の両方が、住み慣れた土地を離れて、
なにが起きるかもわからない知らない場所に行くというものだったら、
人は、その時選ばなかったもう一つの道について、
後からどのぐらい思いを馳せるのだろうと思う。

72年前に、ある2つの選択肢を迫られた人たちがいて、
片方は自分のルーツではあるけれど訪れた事のない国に行き、
もう一方は、生まれ育った国の中ではあるけれど外国人として扱われ、
収容所に集められたのだという話を聞いた。

そんな2つの選択肢を前に、
離ればなれになったとある2人の友人がいて、
もうそれ以降会うことはなかったけれど、
時間の流れと不思議な縁で、長生きをした片方の人と、
割と若くして亡くなってしまったもう片方の人の孫が会うことになる。

72年前の別れの前に、Kayeにノートにメッセージを書いてもらったんだよ
あんまりたくさんのものは持って移動できなかったから、
大切なノートとコインのコレクションのファイルを持って行ったんだ
と言いながらジョージさんは私と妹に祖父のサインを見せてくれた。
筆記体でWords fail meと書かれたそのページを3人で見つめながら、
これは、気持ちが言葉になりませんという意味だよと
ジョージさんが滅多に使わない日本語で訳してくれた。

今も昔も、いつだって、一番強い気持ちは言葉にはできなくて、
その時の雰囲気や時間の流れの一部を切れ端のようにして残すことしか
叶わないのだろうと思う。
それでも、私や妹にとっては実際に会った記憶がほとんどない祖父が、
確かにそこに存在したということがとても強く伝わって来て、
80年以上前に出会った友達のことをいつまでも大事に思っている
ジョージさんが、また遊びに来てねって言ってくれることも、
いなり寿司とお茶漬けをごちそうしてくれることも、
もう、何だか切なくて愛おしくて、
これこそWords fail meだよなと思いつつ、
もうすぐ祖父の生まれ故郷のバンクーバーに向かいます。

# by udanao | 2013-05-27 15:31 | life | Trackback | Comments(0)

ニューヨークの展示の話【After Hours 2:Murals on the Bowery】



元々私は写真を使って美術と関わり始めましたが、
絵を描いたり、立体的なものを作ったりもします。
話しかける相手によって日本語と英語を使い分ける時と同じように、
言いたいことや表したい気持ちによって、
写真がしっくりくる時もあり、
絵の方が自然だと思うこともあります。

アメリカの美大に留学していた頃、
写真学科に在籍していたにも関わらず
自分の写真についてうまく説明できない、
何だかもどかしい時期がありました。
そんな時に「オリジナリティー」という名前のクラスと出会い、
「アーティストなんだから自分にしかできないものを
自分らしく作りなさい!」と
心から応援してくれる先生のおかげで、
NU(ヌー)というキャラクターが生まれました。
写真を通じてだとうまく話せなかったクラスのみんなとも、
NUを介して距離が近くなっていったことをよく覚えています。

そんな頃から8年ほど経ち、
最近とてもうれしいことがありました。
ニューヨークの美術館が行うパブリックアートプロジェクトの公募で、
NUが選ばれ、4月25日から9月29日まで展示されることになったのです。
ニューヨークの「Bowery」というエリアには
ここ数年ギャラリーや美術館、
おしゃれなレストランやお店などが集まってきており、
アートと街と人の関係を新しく見つめていこうという動きが
広がっています。
今回のプロジェクトは、Boweryにある
いくつかのお店のシャッターをキャンバスにして、
美術館やギャラリーが閉まった後にも
アートを楽しめる空間を作ろうというものです。
アートファン達が、アーティストが録音した作品説明を
携帯電話で聞きながら街を歩いたり、
または、たまたま通りかかった人も、
今まで知らなかった作品と出会えるという
長い時間をかけてアートを理解してもらおう
という内容の展覧会になっています。

参加アーティスト14名のうち、
他の13名は招待されて作品を提供した有名な方々なのですが、
そんな中で唯一の公募枠に選んでいただき、
ちょっと誇らしい気持ちです。

今回、オープニングパーティーに合わせて
久しぶりに訪れたニューヨークは、
いつも通り不思議なエネルギーに溢れていて、
そこにいる懐かしい友達や先生、新しく知り合った人たちが
自分の人生なんだからやりたいことをしなよ!と言っていました。
パーティーで会った他のアーティストや美術関係の方も、
おめでとう!選ばれて良かったねぇ!と
何度も何度もハイタッチをしてくれ、
アーティストなんだからニューヨークに住まないとね!と
すごく当たり前のように言って下さったのがとても印象的でした。

これまでは、自分が写真を使うアーティストなのか、
それともNUを使って表現したいのか、
自分でもうまく理解できていない部分がありましたが、
どちらも必要に応じて好きなように追求するものなのだと
今は心から思います。
表現のために何を使うかという分類は、本当は全然重要ではなく、
どんなものを使ったとしても、
その表現の中身に共通した芯があることが
一番価値があるのだと実感しています。
すぐに理解できたり、簡単にわかることは
目に見えやすいかもしれませんが、
目に見えないものがこの世に存在しないわけではないと信じながら、
これからも制作を続けていこうと思います。

展示の内容はこちら
ニューヨークタイムズで発表していただいた記事はこちら
# by udanao | 2013-05-09 01:39 | show | Trackback | Comments(6)

個展「This Side of The Story/あの物語のこちら側」のお誘い




同じ場所に立っていても、同じ時間を共有したとしても、
そこに居合わせた一人ひとりが、それぞれの側から物事を覚えていて、
その集合体として記憶や文化が成り立っていくという仕組みに興味があります。

これまで、考えや言語が多様であることの奥行きについて、
また、時間の経過の中で失われるものと浮き彫りになっていくものについて、
美術を介して考えてきました。

言葉にならない気持ちや、
どうしたって理由が納得できない出来事がこの世にはあり、
それらとどうにか向き合っていくために美術があると感じます。
特定のことについて直接話さなくても、思いを形にできるという
そんな美術の奥深さに、今までどれほど救われたかわかりません。

いつかまた会ったときに伝えたいことがあると感じながら
この向こう側に誰かを見送る時に、
それぞれの側ではどんな風景が見えているのだろうと、いつも思います。

見送った人の数がだんだんと増えたり、
言いたいと思いながら伝えられなかった言葉が多くなっていくことも、
それはどれも時間が流れる中では自然の摂理なのでしょう。

ずっと聞きたいと願っていた話や、
あの時見ておきたかったと思う風景の本当の意味なんてものは、
時間が過ぎてからしか伝わらないことが多いと感じます。
私が取り組みたいと思っているプロジェクトは、
結局は答えのわからない問いについて、
ずっと考え続けるための口実のような、味方のような、
そんな存在なのだろうと思います。

本のページを一枚一枚めくるように、だんだんとわかることが増え、
もしかしたら同時にわからないこともより深まって行くのかもしれません。
様々な事や場所と向き合い、それぞれを自分の中に取り込んで
思考しながら生きていこうと思うことが、
言葉にならない気持ちと表現することの間に存在する人生なのではないかと
実感します。

会場に並んでいる作品が、
いらして下さった方の心の中にあるいつかの記憶や、
何となく覚えている風景と重なる時があるとしたら、
それが今日であっても、数ヶ月後であっても、
何十年も先のことであっても、
それが美術の面白さなのだろうと思います。

皆様の時間の流れと、私の変化を持ち寄って、
いろんなお話ができるのを楽しみにしています。
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宇田奈緒 個展/Nao Uda solo show
"This Side of The Story"「あの物語のこちら側」展
2013年4月9日(火)-21日(日)
火-土11:00-22:00/日11:00-18:00(15日(月)は休廊)

gallery and cafe fu
〒231-0868 神奈川県横浜市中区石川町1-31-9
070-6429-8597(ギャラリー)
ギャラリーのFacebookはこちら
私のウェブサイトはこちら
# by udanao | 2013-04-06 23:14 | show | Trackback | Comments(0)

個展中のワークショップご案内


4月9日から21日まで横浜元町の新しいギャラリーで個展をします。
その際に、初の試みとしてワークショップをすることになりました。
作品を生み出して、家に飾るということ、
自分と向き合って何かを発見するということが体験できる
新しいきっかけになればいいと思っています。
よろしければご参加下さい。
# by udanao | 2013-04-05 01:11 | show | Trackback | Comments(0)

うけつぐ



いろんなことの反復が続いて行くというのが人生なのだろうと、
最近とても自然に思った。
繰り返すことは、変化して行くと共に、続けて行くことなのだろう。
去年の夏から、"the distance between the two"という
展示のテーマについて考え続けていて、
今日突然、そこにあるのは、結局自分じゃないかと思った。
二点の間にあるのは、つまりは自分で、
その距離感を動かすのも、測るのも、感じるのも自分なのだ。

こないだ行ったある駅が、初めて降り立ったはずなのに
とてもよく知っている場所のようで、
あー、私が考えている横浜というのは、きっとここだと思った。
そこには、祖父と似たようなイントネーションで話す
おじいちゃんがいて、
あのさー、それがさー、と横浜弁と言われるような話し方で
いろんなことを語るおじさんがいて、
祖母が作りそうな焼うどんでもてなしてくれる喫茶店があって、
何世代も前から受け継いで来た方法で活字を作って、
人類の知恵と歴史も織り交ぜて印刷をするような、そんな会社があった。

そこで出会った活字を作るプロは、
19歳の頃からもう45年もこれをやってるから、
少しは自分がやっていることをわかっているつもりなんだと
おっしゃっていた。
完璧な活字1個を生み出すために同じ文字を何個も何個も作り、
満足のいくものを選び出すという、そんな安心感がある。
理解するために50年もかかるものは、そう簡単に飽きないよって。

その後、偶然見つけて入った喫茶店では、
おじいちゃんとおばあちゃんがナポリタンや焼うどん定食を作ってくれ、
サラダやお漬け物とみそ汁とコーヒーと
デザートのイチゴミルク飴まで付けてくれて750円という、
そんな不思議な時間があった。

街を何度も歩くということが、
私が気になっているテーマのヒントになるのだろうと思う。
横浜という街が、自分の記憶とどれだけ繋がっているのか、
やっと何かわかり始めたような気がして、
カメラを手に、きちんと向き合ってみたいと思った。
# by udanao | 2013-02-24 13:10 | learn | Trackback | Comments(0)

中村達哉さんとの対話


「答えの決まっていない事」というのがこの世の中には結構あって、
何でだろうとか、もしかしたらこうなんじゃないかとか、
もしもそうだったらどうだろうとか、
回答を導き出す事だけを目的にせずに
とにかくいろんな角度から話してみるという楽しさを知る。

語れない気持ちを表現するために、目で味わう作品を作り、
そんな作品では処理できない気持ちを言葉に表すというのは、
矛盾しているようで、とても自然なことなのかもしれないと思う。

そんなのそうなってるんだから当たり前だよと言ってしまうのは
簡単かもしれないけど、何となく腑に落ちないこともあるわけで、
答えが無いように見えるのは一体何でだろうかと考え、
身の回りを観察してみた結果とか、
自由な妄想力のようなものも利用して、
何となく共通の立ち位置や視点のようなものがあると発見できるのなら
制作という、時間がかかる上になかなか答えなんて見えない、
孤独で長い道のりにも大きな意味があるような感じがして、
生きて行くことも、作り出すことも、
ゆっくりと時間をかけて思考することに対しても、
何だか勇気が出るじゃないかと思った。
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去年のBankARTのレジデンスでご一緒したダンサーの中村達哉さんと
作品についての対談をさせていただきました。
対談はこちら
2月14日(木)と15日(金)20時より
横浜のST spotにて公演をされるとのことです。
詳細はこちら
レジデンスの時からいろんなことを教えていただいていましたが、
あの場所で作っていたものが、だんだんと変化し、
一つの流れのある作品になっているのを目撃して、
また色々なヒントと力をいただきました。
皆様もぜひ!

# by udanao | 2013-02-07 20:01 | art | Trackback | Comments(0)

犬と私



ある日妹のところに犬が住み始めて、
最初はお客さんのようだった犬がだんだんと存在感を増し、
だんだんと家族の暮らしの中心のようになり、
私はやや疎外感すら覚えたりして、
でもだんだんと自分も犬の存在に馴れて行き、
犬がいることが当たり前の毎日のようになって行くという、
そんなものなんだろうなとふと思った。
# by udanao | 2013-02-01 22:34 | life | Trackback | Comments(4)

Eddy



私は言語や文化に関する現象にとても興味があるけれど、
最近、感情をうまく言葉にできないことが相次ぎ、
言葉にならない悲しさとか、理由なんて理解できない出来事と
向き合うために美術があるんだとまた思い出した。
話さなくて良くて、でも感情を処理できるという美術の優しさに
今まで何度も救われたんだった。

私が生まれた時からEddyという名前で近くにいた親戚のおじさんが、
キヨシさんという名前もあると知ったのはいつだっただろうと思う。
そのおじさんとセットで親戚の中には「カナダのおじさん」もいて、
例えば、派手な色のゼリーの素だったり、
チキンヌードルスープが欲しいとリクエストすると
カナダから小包が届いたりするような、そんなことがあった。
クリスマスになるとカードが届いたり、ターキーを焼いて食べたり、
自分の中で小さい時の思い出として覚えていることが、
実はいろんな人のいろんな気持ちの中で受け継がれて来たものなのだと
その人がいなくなってから実感することばかりだ。

カナダで生まれて、子どもの時に日本に来て、
20歳ぐらいでまたカナダに渡って、40代で日本に戻り、
70代になっても英語の勉強をしてたのだとわかるものを
おじさんの持ち物の中に発見して、
今、おじさんはカナダと日本のどっちにいるのだろうと思う。
そして、そんな手書きの英語メモと一緒に、
去年のいとこの結婚式の時に私が作った席次表やプロフィールを載せた冊子が
きれいに整頓されているのを見て、もっと話してみたかったなと思った。

だいたいの場合、聞きたいと思っていた話とか、
見ておきたかった何かの本当の意味なんてものは、
時間が過ぎてからしか伝わらないことが多くて、
私が取り組みたいと思っているプロジェクトは、
結局は答えのわからない問いについて、
ずっと考え続けるための口実のような、味方のような、
そんな存在なのだろうと思う。
一枚一枚本のページをめくるみたいにだんだんとわかることが増えて、
もしかしたらわからないことも深まって行くのかもしれないけど、
いろんなことを取り込んで、作品を生み出し続けられたなら
本当に幸せだと最近心から思う。
今年も制作の一年にしたいものです。

# by udanao | 2013-01-29 23:05 | life | Trackback | Comments(0)

blue and tree



ついこの間、美術に関わる人達と話をしていた時に
この世の中に、極めて個人的で内輪で、
少しも普遍的な何かを示唆しないような
そんな美術作品が存在するのだろうかという話題が出た。
例えば、スタイルが個人的だったり、ある地域独自のものだとしても、
その内容や意味は、住んでいる場所が違ったり、
社会のシステムが違うところにいる人たちの人生の問題とだって
繋がってしまうのではないかと。

夏の台湾の個展の時から、
二つのものの間に発生する距離について考えている。
何か二つのものがある場合、
その間の距離は時代とか、関係とか、事情とか、
いろんなことが理由で近くなったり遠くなったりして、
どうやって測ったらいいのかわからない時もあるのだと思う。
その間をどうにかして近付けたり、境目を曖昧にしたり、
距離を認めたりするために、美術は大きな意味を持つのだろう。
美術という名の下で、世界の問題について思う事があったなら、
何かを表現してみていいんだよという大義名分が生まれて、
そうしたらそれは、現実のやむを得ない状況について
正々堂々と考えたり話したりするための糸口になるのかもしれない。
本当なら、そんな言い訳なしに好きなことを好きなように話すのが
きっと自然で心地よい事なのかもしれないけど、
様々な理由でそれが叶わない時でさえ、人は例え話や知恵を使って、
自分が考えることを伝えて行こうとするのだろうと、
ここ最近出会った一連の作品を観て思った。
# by udanao | 2012-12-17 00:29 | art | Trackback | Comments(0)

Taiwan



台湾の展示が終わって作品を受け取りに行く飛行機の中で、
たまたま窓側に座り、久しぶりに雲の上から空を見た。
一緒に行った妹は離れた席に座っていたので、
亡くなった人っていうのは一体どこに行くんだろうなどと考えながら
多少の孤独感を味わったりしていた。
その後無事台北に着陸し、飛行機の入り口で再び合流した妹に
「ねぇ、天国ってどこにあるのー?」とふざけて聞いてみたところ、
「ばかだねー、もっと上の方だよ!」とあっさり答えてくれて、
なんだかほっとした。
そんな、人が簡単に到達できるようなところにはないんだよって。

台湾に行くのはこれで4回目で、
行けば行くほど、10年前に初めて台湾に行った時のことを思い出す。
私の大事な友人の台湾出身のお母さんが、
私を高校の卒業祝いとして台湾に連れて行ってくれた時、
私はまだアメリカにも留学する前で、
周りがどれだけ自分を暖かく見守って支えてくれるかにも気付かずに
自分のことだけで手一杯だったのだと思う。
そして、それから10年経った今でも、
まだ同じ状態で暖かく支えてもらっていることを改めて思い知るのだ。
数年ぶりに会った人たちが「奈緒、変わらないね!」と言って優しく迎えてくれ、
おいしいものとか美しいものをたくさん見せてくれて、
改めて自分が何で写真を撮り始めたのかを思い出す。

台湾では子どもが生まれた時に、ご両親が金でできた干支のネックレスを贈り、
その子が将来何かで困った時の助けになるようなお守りとして持たせるのだと聞いた。
友人がいなくなった時に、私は友人のご両親からそのネックレスをいただいた。
時間が経ってみないとわからないことはたくさんあると思うけど、
いつになったとしても、何かが理解できたり、伝わることには意味があると感じる。
親が子を想って、何かを受け継いで行くというのは、
生き物の運命のようなもので、
きっととても美しいのだなと台湾に行くといつも思う。

私が大事だと思う友人を生んだお母さんが、
そのお母さんの長年の友達にとっての大事な人で、
だから、そのお友達が私のことや私の家族までもを大事にしてくれるという
なんだか不思議な円のようなものが、本当に暖かくて、
住んでいる所が離れていても、どんなことがあったって
繋がりを絶やさずに生きていきたいと心から思いました。

# by udanao | 2012-10-23 01:25 | life | Trackback | Comments(2)
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