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by udanao
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スタバで突然、お客さんの一人が倒れるのを目撃した。
大学生の女の子。
一人でちょっとコーヒーを買いに来た、って感じの子。
開いた財布を手にしたまま、フロアに横たわる。

横のテーブルに座ってた女の人二人が女の子に駆け寄る。
ちょっと遠くに座っていた女の人が自分のコートとマフラーを提供する。
店員は呼んでもなかなか来ない救急車に怒って、
何回も消防署に電話をかける。
「ここで女の子が地面に倒れてるんですよ、何でまだ来ないんですか」って。
それを見かけたおじさんは、直接病院にかけたほうがいいよ、と言いながら
受話器を奪う。

その後、救急隊員が来たころには、女の子は立ち上がれるぐらいに
なっていた。

世の中には、きっと2種類の人間がいる。
そういう場面で、さっと動く人と、遠くから見る人。
そういう場面で使える技術を持つ人と、持たない人。

もしも、自分が医者だったらどうだろうと思った。
倒れた人がいて、心配なのに誰も何もできない時、
どんなにせつないかを見たから。
そして、もしもその人が呼吸をしてない、
なんてことになったらどうしたらいいんだ。
そんなときに、自分がちょっとでも医学のことを知っている人だったとしたら、
それってすごい価値があることじゃん。

人は予想もしないときに意識を失って、
全く知らないところでたった一人で倒れたりする。
そういうとき、一体誰が自分を助けてくれるんだろう。
そして、そういうとき、自分は誰かのためにさっと動けるだろうか。
自分ができる最大限のことをしよう、と思えるか。

たとえば、自分は医者じゃないかもしれない。
それでも、倒れた人の頭の下に
ふわふわのマフラーを敷いてあげることはできる。
そばに行って、安否を確認することだってできる。

もしかしてそういうことなのかな。
普段何を口にしてても、何を考えてても、何を作り出してたとしても、
そういう場面でさっと動けないなんて価値がないよな。
価値がどうっていうよりも、むしろ自分ダサいなぁと思う。

何を表現しようか、なんてでっかいテーマに取り組むことも大事だけど、
それよりも、自分は動ける人間か、っていうことって重大だ。

ずっとfor othersなんて言われてて、そうだ、大事だ、とか思ってたけど、
今日目にした光景の中では、その言葉はもっとリアルなもので。

自分ができることなんて小さいかもしれないけど、
それでも、ちゃんと動ける人になりたい。

人生が80年あったとして、動けない人として過ごしちゃったら
大後悔だろうなぁ。
21年目で動こう、と決めたら、まあそれなりに動く人になれるだろう。

そして、医者の技術を持つ人には、
医学に興味を持ってくれて本当にありがとうと言いたいね。
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by udanao | 2004-11-07 14:44 | life