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by udanao
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カテゴリ:art( 45 )

美術の役目

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(制作のためのメモ)

過ぎ去りし日々を懐かしく思い、
もう会えない場所に行った命や時間のことを思う。
生きているとか生きていないとかに関わらず、
その時共有したある一定の感情とか時間や空間というのも、
もう手に入らないとしたら、死んでいるのと似ているのだろう。
懐かしいという感情があって、
そこにもう届かないから切なくて、
もっとこうしたら良かったとか、もっとしてあげられたのにとか、
そんなことを考えたりしても届かず。
目の前に当たり前にある時にはわからないというか、
大事にできないというか。
そして、そこに戻ろうとしても、気付いた時には戻れないのだ。
例えば、ある場所で過ごしたある時が最高だったと思う。
でも、それは、その時にそこに揃った全ての条件とか
いろんな人が合わさったからであって、演劇のようなものなのかも。
期間限定で存在する展覧会みたいな、舞台のような。

父方のおばあちゃんに会いたいと思う。
ご飯を食べて、話すところを聞いて。
あのエネルギーを懐かしく思う。

母方のおばあちゃんに会いたいと思う。
身体が悪いと切ないもんね、っていうその言葉を噛み締める。
お茶と漬け物をこたつに当たりながら食べるのだよ。

最初に飼った猫のぬるに会いたいと思う。
寂しかったり悲しかったりしたいろんな時に
ぬるがそこにいて、
でも私はちゃんと世話ができなかったかもしれない。
もっと病院に早く連れて行けばよかった。
あの目のきれいさを懐かしく思う。

高校時代の親友との時間について考える。
もう自分の一部のようになってしまって、
境目がわからなくなりそうだ。
台湾のことを考えるのも、もう自分の問題のようになっている。

全ては自分の心の中に入っているから大丈夫だよとも思う。
それでも、ふとした時に、
やっぱりもう触れられないという事実が、
やっぱり切ないのだよね。
存在するというのは、触れられるということなのだろう。
そして、存在しないというのは、簡単には触れられないということだろう。
美術はその間をつなぐことが出来ると信じるし、
そのためにやっているのだとわかっているのだけど、
でも、切ないのだ。
また会いたい人にもう会えないということは、
本当に本当に切ないことだ。

作品を組み立てる時期になると、こんなことを考える。
美術とは、癒しであり、苦しみであり、
人と人を繋ぐものであり、遠くまで行けるための勇気なのだろう。
そう考えて、いろいろと大事にしていこうっと。
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by udanao | 2016-01-16 17:33 | art

記憶の中の街

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もう人々の記憶の中にしか存在しないとある街があって、
今、同じ住所を訪ねて行っても、変わり果てた姿の中に
ほんの少しの当時の気配だけが残っているのだと感じる。
そこには確かに、かつて栄えた街があったのだけれど、
その事を知る人もだんだんと減って行って、
そうすると、記憶を受け継いで行くことは
なかなか難しいのかもしれないと思う。
昔あった事をちゃんと語り継いで忘れないようにすることと、
今の自分達が違和感や不平等な気持ちを味わうことなく、
この社会の一員であると感じで生きて行けることは、
どんな風に共存していくのだろうかと考える。

美術を使って亡き祖父の姿を浮き彫りにするつもりで
個人的な興味から始めたプロジェクトが、
意外と幅広いテーマに関わっていると気付いて、
1年後にはどんなものになって出て来るのか、
謎が深まりつつあります。
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by udanao | 2014-09-12 13:00 | art
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祖父が70年前に書いた手紙をずっと持っていてくれたジョージさんと
一年ぶりに再会した。
顔を会わせる度に「おっ!」という感じで
ウィンクを交えながら挨拶をしてくれたり、
クッキー缶を使ったお手製灰皿の横で葉巻を吸っていたりと、
90歳になってもまだまだお元気な姿がとても愛しい。

一年前にはそれがどこに繋がるかも知らずに、
ジョージさんと祖父の懐かしい友情に感激して撮った写真だったけれど、
それに連れて来てもらったかのように今の自分の毎日があるのだと思っては
人生とはわからないものだと思う。
あの時知らなかった場所にも私を支えてくれている人がいて、
カナダでだんだんとわかって来ることがある。
今日吸収したことを明日制作に使うというようなペースよりも、
もっとじっくりと、ゆっくりとしたペースで制作に取り組みたいと思う。
私が長い間ずっと不思議に思っていたことも、
どうしても理解したいと思っていた謎に対する答えも、
多分、今やっていることの延長線上にあるのだろうと何となく思う。
きちんと時間をかけて向き合った時にだけしか
その変化が見えてこないことがあって、
ちょっとした変化も大きな動きも、
全部盛り込んでいるけれど、でも、静かで強いような、
そんな作品が一年間の研修の過程で生まれてきならいいと
カナダでの一ヶ月が過ぎてみて思っています。
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by udanao | 2014-07-24 13:18 | art

続くこと

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「私の作品は、時間が流れる中で変化すること
物事が永遠に続けばいいのにと願うこと
人間の想いが文化や言語を越えて普遍的に存在することについての
思考の過程から出てきたものです。

物事は決して永遠ではないけれど、
終わることなく、無限に続けばいいのにと心から願う気持ちと、
過ぎ去った時間の中で教わったことに感謝して、
これからを生きていこうと思う事が、
美術を生み出したり、人と人を繋いだりするのだろうと思います」

自分の作品はそんなことをテーマにしているのかもしれないと
何となく見えつつあった輪郭を文章にした2012年の夏から
1年が経ちました。
その1年でいろいろなことがあり、
自分や周りの風景にも変化があったけれど、
結局のところは、今の私が考えていることも
1年前に書いたことの延長線上にあるのだと改めて感じます。

あと2週間で台湾の個展が始まります。
1年ぶりに持って行く作品がどんな風に見えるのかが楽しみです。
夏休みの行き先にお悩みの方は、ぜひ台北へ〜☆
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by udanao | 2013-07-13 17:11 | art

中村達哉さんとの対話

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「答えの決まっていない事」というのがこの世の中には結構あって、
何でだろうとか、もしかしたらこうなんじゃないかとか、
もしもそうだったらどうだろうとか、
回答を導き出す事だけを目的にせずに
とにかくいろんな角度から話してみるという楽しさを知る。

語れない気持ちを表現するために、目で味わう作品を作り、
そんな作品では処理できない気持ちを言葉に表すというのは、
矛盾しているようで、とても自然なことなのかもしれないと思う。

そんなのそうなってるんだから当たり前だよと言ってしまうのは
簡単かもしれないけど、何となく腑に落ちないこともあるわけで、
答えが無いように見えるのは一体何でだろうかと考え、
身の回りを観察してみた結果とか、
自由な妄想力のようなものも利用して、
何となく共通の立ち位置や視点のようなものがあると発見できるのなら
制作という、時間がかかる上になかなか答えなんて見えない、
孤独で長い道のりにも大きな意味があるような感じがして、
生きて行くことも、作り出すことも、
ゆっくりと時間をかけて思考することに対しても、
何だか勇気が出るじゃないかと思った。
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去年のBankARTのレジデンスでご一緒したダンサーの中村達哉さんと
作品についての対談をさせていただきました。
対談はこちら
2月14日(木)と15日(金)20時より
横浜のST spotにて公演をされるとのことです。
詳細はこちら
レジデンスの時からいろんなことを教えていただいていましたが、
あの場所で作っていたものが、だんだんと変化し、
一つの流れのある作品になっているのを目撃して、
また色々なヒントと力をいただきました。
皆様もぜひ!
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by udanao | 2013-02-07 20:01 | art

blue and tree

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ついこの間、美術に関わる人達と話をしていた時に
この世の中に、極めて個人的で内輪で、
少しも普遍的な何かを示唆しないような
そんな美術作品が存在するのだろうかという話題が出た。
例えば、スタイルが個人的だったり、ある地域独自のものだとしても、
その内容や意味は、住んでいる場所が違ったり、
社会のシステムが違うところにいる人たちの人生の問題とだって
繋がってしまうのではないかと。

夏の台湾の個展の時から、
二つのものの間に発生する距離について考えている。
何か二つのものがある場合、
その間の距離は時代とか、関係とか、事情とか、
いろんなことが理由で近くなったり遠くなったりして、
どうやって測ったらいいのかわからない時もあるのだと思う。
その間をどうにかして近付けたり、境目を曖昧にしたり、
距離を認めたりするために、美術は大きな意味を持つのだろう。
美術という名の下で、世界の問題について思う事があったなら、
何かを表現してみていいんだよという大義名分が生まれて、
そうしたらそれは、現実のやむを得ない状況について
正々堂々と考えたり話したりするための糸口になるのかもしれない。
本当なら、そんな言い訳なしに好きなことを好きなように話すのが
きっと自然で心地よい事なのかもしれないけど、
様々な理由でそれが叶わない時でさえ、人は例え話や知恵を使って、
自分が考えることを伝えて行こうとするのだろうと、
ここ最近出会った一連の作品を観て思った。
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by udanao | 2012-12-17 00:29 | art

描いていただいたヌー

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juriologyと一緒の渋谷てづくり市が終わりました。
皆様本当にありがとうございます。

本日は偶然向かいのブースにいらしたしまこうさん
にヌーを描いていただきました。
しまこうさんの作品は木の表面に高熱のワイヤーで焦げ目を作り、
線と影で絵を表現する技術とかわいらしい動物の姿が印象的です。
木は使えば使うほど磨かれて味が出るとのことで、
このキーホルダーに積み重なっていく時間も楽しみです。

次は3月6日(日)の渋谷てづくり市に参加することにしました。
3月22日(火)から27日(日)には横浜石川町のChiyo's
(ぎゃるりじん裏)にて個展をします。

またお会いできるのを楽しみにしています!
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by udanao | 2011-02-06 18:00 | art

ヌーくん、ヌーちゃん

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今月の渋谷てづくり市が終わりました。
気にかけて下さった方、足を止めて下さった方、
ヌーをご自宅に受け入れて下さった方、
ヌーの存在が何かを聞いて下さった方、
助けて下さった方々
ありがとうございました。

人間はものを手に入れる時、
それは「何に使えるか」を考えるようです。
何に使うものかがわからないものが目の前に存在して、
しかもその生物の正体がはっきりとしない場合、
その存在をどう捉えて下さるのかという
人間の心の動きにとても興味があります。
ヌーはアメリカでも"he"と捉えられていましたが、
日本では「ヌーくん」と呼ばれることが多いようです。
ヌーが何であるか、何のためにいるのか、
どんな表情に見えるのか、性別?など、
きっとそれは見た側の人が自由に決めることであって
私はその呼ばれ方や見解を聞いては、
こっそりとニヤニヤしているのです。

本日旅立って行ったヌーくんやヌーちゃん達が
持ち主の方々とどんな新しい毎日を送らせていただけるのか
楽しみにしています。
どうぞよろしく!
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by udanao | 2010-11-07 01:43 | art

ありがとうございました

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展示に来てくださった皆様、
さまざまな話をしてくださった皆様、
今度こそ行くね、と気にかけてくださった皆様、
本当にありがとうございます。

いつも皆さんに見守っていただいて、
その暖かさのおかげで進んでいくことができます。

英語と日本語を使い分ける時のように、
ヌーと写真の両方を持っていたら人生が楽しいのではないかと思います。
写真は母国語のようなもので、私の芯の部分に寄り添うような、
そんな存在なのかもしれません。
だから、日によっては写真を撮りたい時があるし、
ヌーで語りかけたい相手がいたりするのだと思います。

なんだかとてもすっきりとしました。
美術を続けることに対しても、写真の世界とヌーの世界の意味も、
なんだかすごく当たり前のように自分の中で整理されてきていて、
落ち着いた気持ちで進んでいけそうです。

今すぐに出来ることと出来ないことを分け、
これからすることと、少し先まで寝かしておいてやること、
遠くの目標などを考えればいいのだと思います。

またすぐに皆様に会えますように!
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by udanao | 2009-09-02 00:35 | art

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先生が昨日思い出させてくれた大切なことリスト:

それぞれの人が今いる場所というものには、
絶対に何かしら特別なポイントがあって、
それは他の人が願っても手に入らないものだから、
それを生かす以外には意味がないのだということ。

何かを恋しがる気持ちや満ち足りないものを抱えていても、
実はそれはアーティストであるという特徴のようなものだから、
治ったり消えたりするような何かではないのだということ。

そして、作るという行為を続けることが一番大切で、
どんな状況にあっても作る努力をするべきだということ。

日本では、アメリカの美大でずっと考えさせられて来たような
アートに関する概念がそもそも存在していないのではないか
ということ。

そうだったそうだった。
危うく、何かの狭間に飲み込まれそうになるところだった!
Thank you, Joe!
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by udanao | 2008-07-24 02:58 | art