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by udanao
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美術の役目

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(制作のためのメモ)

過ぎ去りし日々を懐かしく思い、
もう会えない場所に行った命や時間のことを思う。
生きているとか生きていないとかに関わらず、
その時共有したある一定の感情とか時間や空間というのも、
もう手に入らないとしたら、死んでいるのと似ているのだろう。
懐かしいという感情があって、
そこにもう届かないから切なくて、
もっとこうしたら良かったとか、もっとしてあげられたのにとか、
そんなことを考えたりしても届かず。
目の前に当たり前にある時にはわからないというか、
大事にできないというか。
そして、そこに戻ろうとしても、気付いた時には戻れないのだ。
例えば、ある場所で過ごしたある時が最高だったと思う。
でも、それは、その時にそこに揃った全ての条件とか
いろんな人が合わさったからであって、演劇のようなものなのかも。
期間限定で存在する展覧会みたいな、舞台のような。

父方のおばあちゃんに会いたいと思う。
ご飯を食べて、話すところを聞いて。
あのエネルギーを懐かしく思う。

母方のおばあちゃんに会いたいと思う。
身体が悪いと切ないもんね、っていうその言葉を噛み締める。
お茶と漬け物をこたつに当たりながら食べるのだよ。

最初に飼った猫のぬるに会いたいと思う。
寂しかったり悲しかったりしたいろんな時に
ぬるがそこにいて、
でも私はちゃんと世話ができなかったかもしれない。
もっと病院に早く連れて行けばよかった。
あの目のきれいさを懐かしく思う。

高校時代の親友との時間について考える。
もう自分の一部のようになってしまって、
境目がわからなくなりそうだ。
台湾のことを考えるのも、もう自分の問題のようになっている。

全ては自分の心の中に入っているから大丈夫だよとも思う。
それでも、ふとした時に、
やっぱりもう触れられないという事実が、
やっぱり切ないのだよね。
存在するというのは、触れられるということなのだろう。
そして、存在しないというのは、簡単には触れられないということだろう。
美術はその間をつなぐことが出来ると信じるし、
そのためにやっているのだとわかっているのだけど、
でも、切ないのだ。
また会いたい人にもう会えないということは、
本当に本当に切ないことだ。

作品を組み立てる時期になると、こんなことを考える。
美術とは、癒しであり、苦しみであり、
人と人を繋ぐものであり、遠くまで行けるための勇気なのだろう。
そう考えて、いろいろと大事にしていこうっと。
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by udanao | 2016-01-16 17:33 | art