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by udanao
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対話と発見の年

2016年を振り返るには、もしかしたらまだ早いのかもしれないけれど、
この一年は対話と発見の年だったのではないかと思う。

不自由な中国語を使って意思疎通をすること。
そんなぎこちない言葉にも耳を傾け、私が言おうとしていることを
しっかりと汲み取ってくれる人達がいること。
これを話すのは気まずいのではないかと懸念していたことも、
お互いが真剣に向き合いながら話し合えること。

それぞれ立場が違うからこそ、話し合わないとわからないんだよ、って
やけに堂々と教えてくれた人がいた。
想像とか噂とか、誰かのフィルターを通った言葉じゃなくて、
お互いに直接質問をして、それに答えるということができるのなら、
そこから学び合うことにこそ本当に意味があるのだろう。
そんな最初の話し合いから少し経った時、
その人が、これは親しい友達にじゃないとあげられないんだ、と言いながら
故郷の伝統工芸だという小便小僧の人形をくれたことの意味を考える。
歴史というのは、これからにつなげるために過去を映し出す鏡のようなものだ、と
とある歴史博物館の門の前に書いてあった。

2017年もより深い対話と、発見と、学びの毎日になったならいいなと思う。
そして、そんな毎日の中から、良き作品を生み出していけたなら幸せだよなと
いろいろな決意を新たにする12月8日。
# by udanao | 2016-12-08 23:55 | life

台湾と私

台湾と私_b0010191_0454182.jpg


なんで台湾で勉強することにしたの、とよく聞かれる。
台湾の中の人にも、台湾の外の人からも。
とっても大きな理由が一つあることに変わりはないけれど、
実際にここに私がいるのは、
なんだかとても単純なことなのかもなと思う。

台湾と日本の生活習慣は違うでしょう、とよく言われる。
目に映るものとか、食べるものとか、街のスピードとか。
こないだ、同じ学部のマレーシア人留学生仲間とご飯を食べていたら、
私達は誰かに頼まれたわけでもなくて、
自分の希望でここにいるんだよね、という話になった。
言葉が全くわからない、風習も違う場所に来て、
そこで暮らしたり勉強したいだなんて、
人間の心の中には不思議な願望があるもんだよね、
と笑ったりするうちに、
最初にニューヨークに行った頃、
私はどんなことを考えていたんだろうと思った。

当時の私は、アメリカに行きたいという気持ちがとても強くて、
あえて言葉にするような理由なんてなかったのかもしれない。
日本じゃない場所に行きたい、というようなことだったのかもしれない。

それから長い時間が経って、私は再び新しい場所にいる。
作品のためとか、調査のためとか、
もちろんそういう理由があるのだけれど、
もしかしたら、自転車で街を走りながら
ここは南国だなぁとふと感じることとか、
やけに面倒見のいいコンビニの新人店員さんが
親しげに接客してくれることとか、
驚くほど突然に、歴史の断面図のようなものが見え隠れすることとか、
そんな毎日がなかなか面白くて、
台湾をもっと知りたい、
というのが一番正直な答えなのかもしれないなと思う。
# by udanao | 2016-10-17 00:47 | life

美術の役目

美術の役目_b0010191_1341158.jpg


(制作のためのメモ)

過ぎ去りし日々を懐かしく思い、
もう会えない場所に行った命や時間のことを思う。
生きているとか生きていないとかに関わらず、
その時共有したある一定の感情とか時間や空間というのも、
もう手に入らないとしたら、死んでいるのと似ているのだろう。
懐かしいという感情があって、
そこにもう届かないから切なくて、
もっとこうしたら良かったとか、もっとしてあげられたのにとか、
そんなことを考えたりしても届かず。
目の前に当たり前にある時にはわからないというか、
大事にできないというか。
そして、そこに戻ろうとしても、気付いた時には戻れないのだ。
例えば、ある場所で過ごしたある時が最高だったと思う。
でも、それは、その時にそこに揃った全ての条件とか
いろんな人が合わさったからであって、演劇のようなものなのかも。
期間限定で存在する展覧会みたいな、舞台のような。

父方のおばあちゃんに会いたいと思う。
ご飯を食べて、話すところを聞いて。
あのエネルギーを懐かしく思う。

母方のおばあちゃんに会いたいと思う。
身体が悪いと切ないもんね、っていうその言葉を噛み締める。
お茶と漬け物をこたつに当たりながら食べるのだよ。

最初に飼った猫のぬるに会いたいと思う。
寂しかったり悲しかったりしたいろんな時に
ぬるがそこにいて、
でも私はちゃんと世話ができなかったかもしれない。
もっと病院に早く連れて行けばよかった。
あの目のきれいさを懐かしく思う。

高校時代の親友との時間について考える。
もう自分の一部のようになってしまって、
境目がわからなくなりそうだ。
台湾のことを考えるのも、もう自分の問題のようになっている。

全ては自分の心の中に入っているから大丈夫だよとも思う。
それでも、ふとした時に、
やっぱりもう触れられないという事実が、
やっぱり切ないのだよね。
存在するというのは、触れられるということなのだろう。
そして、存在しないというのは、簡単には触れられないということだろう。
美術はその間をつなぐことが出来ると信じるし、
そのためにやっているのだとわかっているのだけど、
でも、切ないのだ。
また会いたい人にもう会えないということは、
本当に本当に切ないことだ。

作品を組み立てる時期になると、こんなことを考える。
美術とは、癒しであり、苦しみであり、
人と人を繋ぐものであり、遠くまで行けるための勇気なのだろう。
そう考えて、いろいろと大事にしていこうっと。
# by udanao | 2016-01-16 17:33 | art

in between

in between_b0010191_1291644.jpg


いろいろな場所で自分が見送られたり、
誰かを見送ったりすることを頻繁に繰り返す中で、
去年同じスタジオで出会ったアーティストご夫妻のことをふと思い出した。
奥様の片桐三佳さんが書いてらした文章が、
今日の私の心境にとても近い。
「大きな距離を移動するということは、
それまでの自分との決別なのだと思う。
あの日、私を乗せて日本を出たのと同じ舟は、戻ってはこなかったのだ。
戻ってきた舟は、違う私を乗せていたのだから。」

おそらく、制作とは、それまでの自分を見つめつつも、
これからの自分を探していく時のプロセスが一番面白いのかもしれない。
様々な縁に導かれながら、
その時々の状況に影響を受けていろいろな作品を生み出していくことこそが、
ある街に滞在して制作をするということの醍醐味だろうし、
結局はそれが生きているということなのだろうなと、
日本に戻る母と友人を見送りながら、心の中で静かに思った。
# by udanao | 2014-11-30 15:39 | life

記憶の中の街

記憶の中の街_b0010191_12395018.jpg


もう人々の記憶の中にしか存在しないとある街があって、
今、同じ住所を訪ねて行っても、変わり果てた姿の中に
ほんの少しの当時の気配だけが残っているのだと感じる。
そこには確かに、かつて栄えた街があったのだけれど、
その事を知る人もだんだんと減って行って、
そうすると、記憶を受け継いで行くことは
なかなか難しいのかもしれないと思う。
昔あった事をちゃんと語り継いで忘れないようにすることと、
今の自分達が違和感や不平等な気持ちを味わうことなく、
この社会の一員であると感じで生きて行けることは、
どんな風に共存していくのだろうかと考える。

美術を使って亡き祖父の姿を浮き彫りにするつもりで
個人的な興味から始めたプロジェクトが、
意外と幅広いテーマに関わっていると気付いて、
1年後にはどんなものになって出て来るのか、
謎が深まりつつあります。
# by udanao | 2014-09-12 13:00 | art